愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

石頭の幹部にも原理講師にも思考が及ばない神様誕生の原点を書く!だからシムソンは嫌われる!

先回記事末部より


つまり、天使長ルーシェルがアダムとエバになすべき性教育がどうあらねばならなかったかという事です。


罪と蕩減 第2章 罪、人間堕落の内的意味
エデンの園にあるすべての木の実は取って食べたとしても、園の中央にある善悪を知る木と命の木の実は取って食べるなと言いましたが、それは何を意味するのでしょうか。尹博士! 他の木はどんな木で、命の木と善悪を知る木はどんな木ですか。同じ木なのに。他の木は何の木ですか。それが何かといえば、兄と妹として暮らしながら、手を握ってもいいし、なでてもいいし、かわいいと言ってどんなことをしてもいいですが、善悪の実は見てもいけないし、触ってもいけないというのです。それが何か分かりますか。他のところはみな触っても、そこは触るなというのです。そのように解釈すべきでしょう。何のことか分かりますか。


兄と妹が手を握ってもいいし、抱き締めてもいいというのです。兄と妹、二人しかいないではありませんか。子供たち同士は体を触ったり何でもするでしょう。大きくなる過程で、家でみなそうではないですか。兄なら兄が、それを知っているでしょうか。そのようにみな触ってもいいのですが、いけないところがあるというのです。命の木の実である男の棒は凸で、善悪の実は凹です。それは触ってもいけないのです。取って食べれば大変なことになるのです。聖書はそのように比喩で書かれているのです。神様がどれほど風刺的か分かりません。(199-94,1990.2.15)


真のお父様によれば、「善悪の実を取って食べるな。」とは性関係を結ぶなという意味ばかりではなく、互いの性器を触っても見てもいけないというのです。ここに、本然の性教育の真骨頂があるのです。


天使長ルーシェルの教育とは、どうあるべきだったのでしょうか。「全万物世界の最終の理想的な吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だ」というみ言は、具体的にどのようなことを意味しているのでしょうか。このことから扉を開いていきましょう。


  *****


神様が誕生した原点から考えて行きましょう。


第11巻 宇宙の根本 » 第1章 宇宙の根本秩序 » 1) 神様の二性性相の大展開 »
神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されいます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。(207-27,1990.10.21)


真のお父様が永遠に残すように願われたみ言には、私たちが理解していない本質が圧縮されて詰まっています。神様は愛によって生まれましたが、愛する対象に神様が生まれたと実感した心情の動機を与えるには、同様の体験をさせるしかありませんでした。


神様が愛から生まれたという実感を得るにあたって、何を体験したのかという事です。


第11巻 宇宙の根本 » 第1章 宇宙の根本秩序 » 1) 神様の二性性相の大展開 »
愛の中心は神様なのです。宇宙生成以前からいらっしゃる、唯一的であり、永遠的であり、不変的な存在なのです。ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は、心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正に神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。


神様自体内で本性相と本形状が授受作用している状態では、そこに神様を存在させている前エネルギーが満ち溢れて永遠普遍に球形運動をしている状態です。それは神さまの思考と心情においてであって、私たちが見ることができる球形運動とは違います。知情意・法則数理などの思考と心情の陽陰が、完全和合・絶対一体となって存在する喜びの境地にあったのです。本性相も本形状も完全一体となって、その境界が無い状態です。


ところが、この授受作用による正分合作用が、自らの完全和合の喜びの心情の境地の頂点で、愛する対象との授受作用による正分合作用という発想が現れた時、神様は自分自身が愛そのものの存在であったと実感し、「愛から生まれた」と感激したのです。


その時、これまでの喜びの存在であった境地が、愛する対象から注がれてくる心情の希望の光によって照らし出された時、そこは何も輝き返してくれない「無の暗闇の境地」であったのです。


『夜の中にいた神様の歴史が創造以前の歴史であることを分からなければならない。その夜の歴史の中にいた神様の歴史、創造の前の歴史・・・神様も大きくて出たという事実が分からなければならない。暗闇の中輝いた。7色光を合わせれば黒になる。その創造以前世界の神様が分からなければならない。元々の根本が分からなければならない。』(2010年4日1日 ワシントンシェラトンホテル訓読会)


神様は愛する対象を得たいと願い、大きな希望を抱きました。しかし、神様自身が「愛から生まれた」と感動した喜びから放たれた光に、輝き返すどのような対象も、自らの中に無かった事を悟る事になります。それを知った神様の悲しみの心情が、「七色光を合わせれば黒になる。」と表現されたのです。


愛から生まれたという実感を抱いた神様が、同時に体恤した心情が「無の暗闇の状態」だったのです。そこで永遠普遍の神様に、初めて生と死の概念が生じるのです。主体と対象で授受作用して一体化する愛の関係性から男女の性別が発想され、神様においての完全一体化していた本性相本形状から、愛する対象として創造する被造世界における性相と形状が再構築されていくのです。


もう一度、真のお父様の天聖経のみ言を上げます。


第11巻 宇宙の根本 » 第1章 宇宙の根本秩序 » 1) 神様の二性性相の大展開 »
神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本は、どのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されいます。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。(207-27,1990.10.21)


神様が愛から生まれたという体験は、言葉で説明しても伝わりません。教育して理解できるものでは有りません。ですから、すべての人類が一人残さず、神様と同じ体験が出来るように創造した環境圏が被造世界なのです。陽と陰が結合し、雄蕊と雌蕊が結ばれ、雄と雌が結ばれ、男性と女性が結ばれて生命が誕生し、成長しては完成に至り、ついには地上界における死に至るという、親子の生命システムを構築されたのです。


天聖経には、真のお父様が「教育の原論」だと語られているみ言があります。


真の神様 第2章 神様と創造の役事 3)アダムとエバを通じた愛の理想 ②夫婦は第二創造の位置
 
夫婦が一つとなって息子、娘を生むことにより、永続することができます。ですから、創造した創造主の位置に上がって息子、娘を生んでみることにより、神様が創造した喜びを平面の世の中で感じることができるのです。それゆえ自分の妻は、息子、娘のようでなければなりません。息子、娘と兄弟の立場を合わせたものです。
 ですから別れることができません。愛は、そういい加減にはできていません。このようなすべての伝統を通過した後に息子、娘を生んでこそ、神様が本来の創造理想として願った本然的基準に到達するのです。
 それゆえ、家庭が天国の基盤です。
(223-24,1991.11.7)
このように夫婦が息子、娘を生んで父母の位置に上がることにより、神様の位置で神様が人間を創造するときに、どれほど喜ばれたかを体恤するのです。
 
天地の大主体であられる神様の権限の、すべてを相続できる位置に入り得る体的環境を、体恤的内容として伝授してあげるのが、息子、娘を生産することです。息子、娘を生んで大切に育て、結婚させるまでが母親と父親の責任です。
神様がアダムとエバを育てて結婚さなければならなかったのですが、できなかったのです。アダムとエバも、息子、娘を生んで結婚させることができませんでした。この恨を解かなければなりません。
これが教育の原論になるのです。結論は簡単です。(223-196.1991.11.10)


「天地の大主体であられる神様の権限の、すべてを相続できる位置に入り得る体的環境を、体恤的内容として伝授してあげるのが、息子、娘を生産することです。息子、娘を生んで大切に育て、結婚させるまでが母親と父親の責任です。」


神様が創造した環境圏において、自然な生活の日々を送れば、神様の愛の全てを体験できるようになっていました。自然な生活の日々とは、四大心情圏の体恤であり成就です。誰もが通過する成長過程です。その四大心情圏が自然な営みの中で体恤できるように、神様は被造世界を保護の母体として創造したのです。霊人体を備えた男女として、初めて誕生した人類始祖アダムとエバにとっての保護圏とするためには、天使長に保護の役割を担わせざるを得なかったのです。


第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 一 旧約時代、神様は天使であった 1.旧約時代は僕の時代であった
 神様は生命の母体です。父母はその子供の生命を育ててくれるというのです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれ、育ててくれ、愛してくれるというのです。それゆえ、幸福はどこから出てくるのでしょうか。保護圏が成立しなければ命が危機にさらされるのです。命が危機にさらされると愛も成立しないのです。今死ぬというのに愛が成立することができるでしょうか。できないのです。それゆえに保護圏がなければならないのです。それで保護圏を造りましたが、保護するのは誰かというと天使長だというのです。アダムとエバは生命の起源であられる神様から生命を受けて、天使長の保護を受けて愛の教育を受けている途中だったのです。


この保護の役割を担わされた天使長が、その責任を全うするためには、聖霊と万物と天使との関係性がとても重要であったのです。聖霊は地上天国と天上天国を生み出すという重要な働きをするようになっていたのですが、人類始祖の堕落によって吹き飛んでしまったのです。そこで、蕩減復帰摂理史において胎中転換が成され、メシヤが聖誕できる環境が整ってから、初めて聖霊は歴史上に、その働きを現すことができるようになったのです。



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