愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

私たちは真のお父様の本当の様相を知らなかったのです!

第11回み言で学ぶ本体論セミナー
2.創造主の完成期間!(5)神様の青年期-三位一体の展開様相-その2


三位一体の展開様相のその2として語っていきます。


先回のセミナーの解説から、先々回のセミナー動画で取り上げた、2004年11月12日第45回『真の子女の日』のみ言の真意が分かるようになります。


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2004年11月12日第45回『真の子女の日』のみ言
 神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。お兄様です。縱的なお兄様なのです。分かりますか?「お父様」という言葉は、横的な面でお父様なのであって、縱的に見れば、兄弟関係です。
 それで、キリスト教では、千年前のおじいさんたちも「天のお父様」と言い、万年後の子孫たちも「天の」何と言うのですか?(「お父様です。」)お父様です。それでは兄弟の関係ではないですか?はっきりと天のお父様と呼んで、このような心情的一致圏の関係を結ぶためには、その因縁を知らなければなりません。
 神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?


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このみ言で真のお父様は、神様と私たちの関係性を、横的な面でお父様であって、縦的に見れば兄弟関係です、と語っています。普通であれば、父子の関係は縦的であり、兄弟関係は横的だという事になるのではないでしょうか。ではなぜ、真のお父様は縦的には兄弟関係だと言っているのでしょうか?


キリスト教では千年前のおじいさんたちも「天のお父様」と言い、万年後の子孫たちも「天のお父様」と呼ぶので、同じ神様をお父様と呼ぶなら、それは兄弟関係だと語っていますが。この兄弟という意味は、神様をお父様と呼ぶ人間は千年万年の時を越えて兄弟関係だと言うことです。その因縁を知らなければならないと語られていますから、辿って行けば人類始祖アダムとエバに到達します。神様とアダム、つまり真の父は、同じ母胎の中で、一つの体に入り共有していた一体双子です。


それに対して、私たちは直接神様が臨在するわけではありませんが、神様が送ってくる神霊を通して一体となっています。ですから、神様とアダムの一体双子に準ずる、霊的な関係性での一体双子です。つまり、心情において、神様を兄と慕う情も持つように構想されているのです。ですから、神様と父子の関係で通じるとともに、兄弟の心情でも通じるようになるのです。どれほど近い関係なのかという事です。神様と私は四大心情圏の真の愛で一つになっているのです。どれほど近いでしょうか。


それに続く。「第45回真の子女の日」のみ言を読んでいきます。


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 その次に、神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。


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神様とアダムの関係性は、どちらも男性格主体であり、一体となる時、心情は共鳴し合い無限に拡大するのです。100%の真の愛を100%で受け止め120%で返そうとします。さらに真の愛において、互いに増し加えて愛そうとしますが、男性格主体の一体双子の関係は、共感共鳴し合い、真の愛を永遠普遍無限に拡大展開して行く主体対象の関係になります。主体でありながら対象になり、対象でありながら主体になり共鳴し合って拡大展開するのです。これが「聖父・聖子・聖霊」の霊的な三位一体の真髄となる意義なのです。男性格主体どうしの主体と対象による真の愛による一体化は、共鳴し合い、無限に拡大展開するようになり、包み込むというよりも真の愛を降り注ぐようになるのです。それを受け止める対象の側の、覚醒と責任分担における自覚が必要になるのです。


それとは違い、男性格主体の性相と形状の、その中から形象的実体女性分野を抜き出して、アダムと同じ主体対象の関係で個性真理体となる女性エバです。ですから、アダムとエバは凹凸の関係で、対象の女性が、主体の100%の愛を120%で受け止め、受け止めることは包み込むことになるのです。つまり、受け止めることがエバにとっての真の愛になるのです。それが女性の性質であり心情です。もともと男性の中にあった性質ですから、包み込まれると吸収してさらに包み込み包括し、真の愛の一体圏として完結するのです。男性的な心と女性的な心の凹凸ですから、絶対主体と絶対対象が一体となったならば、一つの真の愛の一体圏として完結するのです。それに対して互いがそれぞれ120%で真の愛を返そうとする時、衝動的心情的に発動させるエネルギーは、新たな真の愛の一体圏を作るために、男性と女性の新たな個性体を出現せざるを得なくなるのです。


これが天のお父様から天の息子と娘が生じる奥義なのです。さらにみ言を続けます。


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ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?


二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。


子女というのは何ですか?子女と言うのは、神様ご自身の完成を願う相対存在です。分かりますか?神様が上下関係と因縁を持とうとすれば、下が喜ぶようにして、初めて上が喜ぶのです。


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「息子を中心として見るとき」と始まっていますから、「わたし」と呼んでいるのはアダムであり、そこから息子として生まれてくる全男性のことです。「わたしの女性世界」とは男性の性相と形状に備えられている形象的実体女性分野のことですから、その相対圏はその男性の妻ということになります。その妻を助けてくれる夫とは、神様の事です。その形象的女性分野の原点は、夜の神様の性相と形状から抜き出したものなので、全ての男性の妻は、神様の妻となる相対的条件を持っているということです。


でも、ここで真のお父様は、相対基準ではなく相対的条件と語っていることに注目してください。これは、全女性は神様の相対として関係性を結べる条件を持っているということであり、相対基準が結ばれていることでは無いのです。神様と全女性もそうですが、神様の息子である全男性もまた、全女性との相対的条件は持っているけれども、相対基準にはなっていないということです。それでは実際に、神様と全女性が、また全男性と全女性が相対的条件をもって、具体的に相対基準を結べるようにする為に神様はどうしたのかということになります。


その互いに持っている相対的条件を、相対基準に変えて心情の絆を結べるようにする存在が、互いの間に生まれる子女なのだという意味で次のように語っています。


「子女と言うのは、神様ご自身の完成を願う相対存在です。」


子女を産むことにより、夫婦も神様も相対的条件が相対基準を結び、愛と心情において完成に至るという意味です。この内容は絶対性に関連することですが、まだ核心ではありません。この男性と女性が夫婦の愛の結実として真の愛で生殖器が一体となれば、それぞれの性質性格、そして情感と似ている要素を備えた子女が誕生するのです。相手の性質性格や情感が似ている子女を愛する事は、互いの存在を生まれた時から愛し直すことに繋がり、互いを愛する四大心情圏が展開するようになるのです。


そのような、互いの性質や性格、及び思考や情感と似ている要素を紡ぎ合わせ、新たな子女の個性真理体として産み出す、生殖器の構想が次の段階となっていくのです。


三位一体と生殖器は密接な関係にあります。アダムとエバの生殖器が結ばれる初夜は、「聖父・聖子・聖霊」の三位一体から発動される真の愛が、その真の愛を中心として結ばれた神様とアダムとエバの三位一体を包み込み、心情エネルギーと霊界システムの働きによって、子女の新たな生命を生み出すこととなるからです。「聖父・聖子・聖霊」の三位一体の真の愛は、真の父母から産まれ増えていく息子娘としての全人類に注がれ、霊界システムの働きによって、神様はすべての息子娘の一人一人と向き合って育み愛する事ができるようになるのです。


次回は生素について解説していきます。



第11回み言で学ぶ本体論セミナー



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