愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

夜の神様を説明できない原理講師は詐欺師であり幹部たちは地獄への道案内人だと言うしかない!

先回記事重要部分


その天一国に愛の理想が展開するのを、見るだけで満足できるものでは無いのです。よく考えてみましょう。見ると言っても、形のない神様では見ることも出来ないのです。自分が創造した理想世界の美しい光景を、無形の神様のままでは見ることも出来ないのです。人間として誕生した息子娘を、そのままの形で見たいと思うのは、親として当たり前の心情です。ですから、人間と同じ眼を持たなければならないし、息子娘の声を聴きたいと思ったならば、我々と同じ耳を持たなければならないのです。


息子娘を抱きしめたいと思ったならば、手を持たなければならないし、握りしめて頬を撫でる指を持たなければならないのです。故に、無形の神様のままでは愛を実現することは不可能なのです。霊界に行っても同様です。人間の霊体と愛の授受作用をする為には、同じ霊体を持たなければならないのです。そこで、夜の神様は、肉体と霊体を着るようになるのです。夜の神様が着ることのできる肉体と霊体は、たった一人、真のお父様のものだけなのです。


そんなはずはないと怒り狂う人もいるでしょう。文鮮明師は真のお父様と呼ばれても、我々と同じ人間であり、愛の人格者に過ぎないと思っている方も多いでしょう。我々と同じ人間であることは間違いありません。我々と同じ、聖霊の働きによって愛の人格を完成させ、昼の神様の顕現者となることにおいては変わりありません。しかし、そのお父様には、生まれた時から夜の神様が臨在されているのです。


  *****


まずは、真のお父様が忠母様の胎内に生命を受けた時から、夜の神様が臨在されていた事を理解しなければ、再臨主に対する「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の真の愛の生活は始まらないのです。


天聖経を何千回、何万回と訓読しても、意味を掴めずに続けていれば、何の意味も持たないということです。ただ、何千回、何万回が条件になって、このブログと出会うようになったということもあるでしょう。そのように願います。


神様が親の心情で、人間を息子娘として愛そうとするならば、神様も息子娘と同じ体験を経なければなりません。神様は人類を親として愛するために、神様のみで存在している次元で体験した「愛から生まれた」体験を、被造世界で追体験することから人類の親となり、真の父母になろうとされたのです。神様が構築された「愛から生まれた」体験を全ての息子娘に同じように与えようとされた親子の生命システムを、私たちはしっかりと理解しなければなりません。(「愛から生まれた」体験については、このブログの最初の記事から数回にわたって読んでいただけると書いてあります。)


夜の神様は、人類の親となる為に、自らが創造した時空間の中で、「愛から生まれた」と実感した体験を再現しようとされたのです。その為に、夜の神様は人類始祖であるアダムの肉体を着て、「愛から生まれた」と実感した体験を追体験したのです。


天聖経から抜粋引用します。


真の神様 第一章神様の本体2)無形の神様は体が必要②アダムは宗の祖先、有形の神様
神様は第一に、体を着るためにアダムとエバを創造され、第二に、愛を完成するために創造されたのです。このようなアダム、エバが完成し二人が一つとなることができる愛の実体になれば神様が臨在し、人類の前に愛の父母となるのです。そうして、神様の形状的実体の父母になったアダムとエバが実体の子女を繁殖することによって理想世界ができるのです。そのようになれば、人間を通じて霊界と地上世界が連結されるのです。その目的もあって人間を造られたのです。それで神様が愛を中心としてアダムとエバに臨在されることによって人類の真の父母、実体の父母としていらっしゃってから、アダムとエバがあの世へ行けば、霊界でもアダムとエバの形状で体をもって父母の位置に顕現することができるのです。


「アダムとエバには神様が臨在し」と語られていますが、天聖経においても、夜の神様と昼の神様を分けていない「神様」として表現されています。


アダムに臨在されるのは夜の神様であり神様本体です。エバに臨在するのは昼の神様であり、神様本体そのものではなく、時空間に創造された被造物としての個性真理体です。ゆえに昼の神様の実体です。アダムも同様に被造物としての個性真理体ですが、その生心に夜の神様が臨在されることによって、夜の神様の実体となります。


その事が、天聖経の次のみ言で語られています。


真の神様 第一章神様の本体2)無形の神様は体が必要②アダムは宗の祖先、有形の神様
実体をかぶった、神様の体で造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。それゆえアダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。


先回記事で次のように書いています。


「息子娘を抱きしめたいと思ったならば、手を持たなければならないし、握りしめて頬を撫でる指を持たなければならないのです。故に、無形の神様のままでは愛を実現することは不可能なのです。霊界に行っても同様です。人間の霊体と愛の授受作用をする為には、同じ霊体を持たなければならないのです。そこで、夜の神様は、肉体と霊体を着るようになるのです。夜の神様が着ることのできる肉体と霊体は、たった一人、真のお父様のものだけなのです。」


「無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。」天聖経によって永遠に記録されたこのみ言を、私たちは心の底から理解しなければなりません。


そして同様に重要なのが、エバは神様ではなく、神様の妻だということです。真のお父様は「生殖器が宇宙の祖先であり、宇宙の根本」と語られています。エバの胎内には、エバ自身の誕生と共に、次世代の生命の素となる「原始卵胞」を備えられて生まれてくるのです。つまり、あなたの生命の素の誕生日は、母親がその母親の胎内に孕まれた時なのだということです。エバを始祖とする全ての女性は、時空間の中でしか創造しえない存在なのです。そのような意味で、夜の神様の似姿とは言えないのです。ですから、神様本体が直接に臨在されることは不可能なのです。


夜の神様と呼ばれる神様本体は、女性として現れる要素は備えていても、母性は時空間の被造世界を通してしか現れない実感の心情なのです。それも、神様本体の「愛から生まれた」と実感した体験が素になっていますが、神様本体自身では時空を持たないので生命を誕生させることはできないのです。そこで、千辛万苦の末に構築した心情エネルギーの働きこそ、聖霊であり、心情エネルギーに込めた夜の神様の目的を中心として呼ぶ時には「昼の神様」となるのです。


つまり、夜の神様である神様本体は、「天の父母様」では有り得ないのです。一人でも「真の父母」である真のお父様が私たちの父であるように、神様本体は私たちの父なのです。「天のお父様」です。


これを理解していない原理講師は詐欺師であり、理解していない幹部は地獄への道案内人となり果てています。



お父様の心情に迫りたい方はクリックを
↓ ↓ ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭平和協会へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する