愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

頼りなさげに見える装丁のこの冊子は家庭連合・家庭平和協会が出す全ての偽物著作を破壊します!

私は1982年に教会に入り、み旨を歩み始めました。真のお父様の路程を知り、仕事をやめ、神様の天宙復帰摂理に身を投じることを決意しました。


私は詩人になることを夢見ていていましたが、詩を書くことをやめました。全て神様の願いのままに生きようとしました。神様の存在を信じていませんでしたが、真のお父様の路程に心打たれ、統一教会に入りました。


21日修練会の祈祷で、初めて神様に語りかけられ、存在を実感しました。その後、詩を書きなさいと啓示がありました。そして、書いた詩が、次の詩です。


  *****


  ねがい


いつか きっと
てんの おとうさまの じゅっぽんの ゆびで
かなでられたい


もりの きぎが かぜに なでられて
だいちの たかなりの みちひきに
わかばの しおさいが こころを あらって ゆく


すべてに おとうさまの いきづかいが きこえてくるような
そんな きょくを かなでるには
まだ けんばんが たりない
おとうさまが ひくには いっぽんの ゆびで まだ あまる
わたしは てんの おとうさまを かたわに している


この うちゅうの なかで
いちばん うつくしい うたを きいたことが ある
それは ときを とどめて ふりしきる ゆきの ねいろ
てんの おとうさまの なみだが いてついて
わがこを なくした ははおやの ように
ひとりぽっちで ちゃくち しつづける ちんもくの うた
いくまんねん こころに うもれた ゆきの かせきを
ほりだして かなしみの けっしょうを
あたためて あげるような
そんな きょくを かなでるには けんばんが たりない


ちじょうに みちあふれる 
どんな くるしみをも うけとめることが できたならば 
すべての きぎに こめられた おとうさまの あいを
ひとつ ひとつの けんばんに こめることが できるだろうか


ちじょうに みちあふれる 
どんな かなしみをも うけとめることが できたならば
すべての とりや けものたちに こめられた
その あいを
いっぽん いっぽんの げんに こめることが できるだろうか


けんばんを たたけば こだま するように
わたしの さびしい この こころの かべを
かえって おとうさまとの きょうめいたい として ひびかせて
すべての ひとびとに こめられた あいを
こころの なかから
かたちとして あらわすことは できないだろうか
いちにち さまよい つづければ はてに ぶつかる
せまい こころ
そんな わたしの こころでさえ
げんに つむげない いとが ある
――― ああ それなのに
どうして おとうさまの みこころを つむげよう
どうして ごふぼさまの まことの あいを たどれよう


よぞらの ほしを あおいで
どんな ほしかは しらないけれど
ひかりに あこがれるように
まことの ごふぼさまに むかって わたしは つばさを ひろげよう
はねの ない うでで けんめいに かぜを きって
ちじょうを かけずり まわって
たとえ おろかな すがたに みえたとしても
しょうがい はてしなく とびつづけたならば
たましいは とりに なれるだろうか


しんじて――― しんじて――― しんじて―――
しんじぬいて――― いつか きっと
てんの おとうさまの じゅっぽんの ゆびで かなでられる
わたしに なりたい
そうしたならば つれていって あげたい
ねいろに のせて
まことの ごふぼさまが おうまれに なられた
あいの ふるさとまで
だれよりも ごふぼさまと
おとうさま ごじしんを つれていってあげたい


  *****


神様は10本の指で、神様の愛と心情を奏でることが出来るようにと、訓練を続けてくれました。


「夜の神様と真のお父様が勝利された極秘戦略の全貌」第1巻は、神様が訓練してくれた10本の指で書くことが出来ました。発行人・木村良史氏の指も含めて20本の指で書いたのです。


この冊子は、家庭連合・家庭平和協会から出されている全ての偽物著作を破壊します。




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