愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

人から与えられるみ言ばかり重要視していると生心が麻痺してしまい成長が止まります!

先回記事末部より


原理本体論には次のように「生素は原理と愛」とだけ記述されています。


「霊人体も肉身と同じように外部から陽的な栄養素と陰的な栄養素を受け、自体で生心と肉心が授受作用をしながら成長します。生心と霊体が授受作用をすると同時に、神様から生素という陽的な要素を受け、肉身から生力要素という陰的な要素を受けて成長し、完成するのです。生素は原理と愛であり、生力要素は肉身が造成した生命の力、すなわち原理を生活化した人格です。」

修練会で行われる原理講義でも、生素とは「神様のみ言と愛」と学んできたはずです。でも、それだけで生素が何を表しているのかを、理解できている人はいるのでしょうか?


でも、この「生素」が分からなければ、生心の成長はないものであり、神様も臨在できないものとなるはずです。


この記事は、この問いかけだけで終わりたいと思います。


  *****


二代王様(亨進様)による聖霊役事は、すでに時期が過ぎ去りました。


2019年12月27日のキングス・リポートで亨進様が語られた内容の一部を抜粋引用します。


  **引用開始**


なぜ二代王様がこれ以上ヒーリング(聖霊役事)摂理をしないのか?と疑問をお持ちですが、私にとって本当に大きな荷物だったし、自分自身がすぐに燃え尽きてしまいます。 それから、誤った内容で尋ねて来る人々がいます。 誰でもできるのではなく、神様が指名されれば受けることができます。
このヒーリング摂理をしても、若い人たちを失うことがあります。
若い人たちはヒーリングが起きても否定しようとします。 人が自然に癒されたことが、”牧師がわざと自分で治したと言っている ”と疑うようになります。
イエス様も怒られた理由は、誰でも来てヒーリングを願ったからです。
しかし、疑いが鍵です。 疑いが山を動かすことを妨げるのです。 疑いの心をなくせば、ヒーリングが起こるでしょう。
(そして)ヒーリングを受けてからが、山を動かすスタート地点です。


  **引用終了**


ヒーリングとは治癒という意味ですが、多くの方々は目に見える病が癒される様子を目の当たりにする時、それを奇跡と呼ぶでしょう。でも、考えてみて下さい。人類にとって最も大きな病は、人類始祖の堕落によって神様との相対基準を失った事であり、聖霊が何なのか分からなくなってしまった事です。


亨進様が聖霊役事を一定期間行って下さり、それを辞められたという事の意味は、そこが「山を動かすスタート地点」となったという事です、「山をも動かす信仰生活」のスタートとなったという事です。つまり、真のお父様が1976年にすでに語られていた次のみ言を成就する時に来ているという事です。


「先生が地上にいようが、霊界にいようが、そんなことは問題ではない。先生は、霊界の組織、霊界のシステム、霊界の様子を熟知している。あんた達には見えないけれど。あんた達の目の前にはもう新しい天地が開かれようとしている。先生はその時間表をはっきりと知っている。必ず来る。新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。」(1976年9月20日、ワシントン大会後ベルベディアで)


私たちはすでに真のお父様が開いてくださっている新しい世界に気付き、新しい生活を開始する時が来ているのです。


亨進様(二代王様)は2019年12月25日の礼拝では次のように語られています。


  **抜粋引用開始**


聖書の朗読だけしても精誠になりません。聖書を理解しなければいけません。ただ朗読だけするのなら理解する必要がないではないですか。
神様のみ言葉を理解しなければいけません。深い心情世界。
情、知、義の世界を理解しなければならない。理解しなければならない。知恵が何か理解しなければなりません。理解できなければ知恵も実践できません。
神様の御言葉と共に生きることが仏教と儒教と違います。朗読が一番重要なのではありません。読みながらこれを理解すること。心情と聖書の御言葉通り骨と骨髄まで入り込む神様の御言。 理解されますか? これがとても重要。 これが。
だから神様の御言葉を読む時はゆっくり読まなければなりません。良い方法は我が王妃がそんな事をここの王妃たちに教えてあげているが、何かと言えば神様の一節だけ読んでその次に祈るのです。一節だけ読んで、あ、神様、この一節がどんな内容か考えながら祈ります。簡単な考え瞑想するのです。次に次の句。その次にまた止めてまた祈るのです。神様は何とおっしゃっていらっしゃいますか。と言いながら考えるのです。こうしながら。祈りの生活が疲れません。祈りの生活がいつも新しく瞑想することで新しいことを発見します。何故? ただ考えずにただダダダダと読むのではなく、読んで考え、読んで神様と対話するのです。
神様に良い指導と教えをもらおうとする、そのような姿勢で祈るのです。神様の御言を。
ですからみ言と一緒に生きる事がそういうことです。み言葉と共に生きるのが・・・考えてみてください。


  **引用終了**


聖書には、真のお父様が聖和前になって語られた「夜の神様、昼の神様」のみ言の真髄があります。真のお父様とイエス様が、100%神様、100%人間であることの真髄となる記録が残されています。統一教会と家庭連合が失っていた、最も重要な信仰生活の真髄、神様の息子娘として生きることの真髄が聖書にあるのです。それが理解できてこそ、真のお父様のみ言も、統一原理の真価も、本当の意味で発揮されるものとなるのです。


亨進様が2019年の最後に、このような内容を語られるという事は、私たちは2020年には「新しい世界」にすでに入っていることを悟り、「新しい生活」を始めなければならないという事なのではないでしょうか。


「新しい生活」を為していくにおいて、最も重要な事は私たちの生命の源泉であり、愛と心情の源泉であるべき「生素」の本当の意味を知ることから始まるのではないかと考えるのです。神様は今、それを公開しなさいと私に命じています。


生素とは神様のみ言であり、神様の愛であると、私たちは学んできました。そのみ言を、ただ読むだけではなく、理解して知恵として体恤し、生活において展開しなければならないのです。み言とは記録になって万民が読めるようになったものもありますが、神様と直接に授受作用し、おのおのが直接にいただくみ言もあります。むしろ、直接に頂くみ言が重要です。私たちが直接に神様と授受作用するには、聖霊の介在が必要になってきます。それは、次の真のお父様のみ言から理解できます。


「私(真のお父様)は夜の神様の管理を受け、お前たち(真のお母様と人類)は昼の神様の管理を受けているのだ。」


アダムとエバが堕落することなく完成すれば、そこに真の家庭の四大心情圏は成就され、二人は昼の神様の実体と成りました。アダムの生心には夜の神様が臨在していますから、アダムは昼の神様の実体であるとともに、それ以上に夜の神様の実体です。昼の神様の実体としてのエバと、その胎から産み増える人類には、聖霊の働きがそれぞれに結実するということです。聖霊の働きが結実するということは、夜の神様である神様本体と、聖霊によって完全なる相対基準を結び、意志と心情が直結するようになるということです。


すると、時空を超越しておられる神様は、その愛ゆえに、私の心の中に存在して下さっていると感じることが出来るのです。私の生心に、神様の心情の動機と同じ衝動力を得て、神様の意志と心情に合わせて動じ静ずるようになるということです。つまり、私の生心に夜の神様が入ったと感じられるけれども、それは昼の神様なのだということになり、聖霊の働きによるものだということなのです。その状態は、神様本体が、私の生心に入られたと同様と言えますが、昼の神様に込められた愛ゆえなのだと理解することが、夜の神様の尊さを自覚できる基点となるものです。


その状態を、お父様は「昼の神様の管理を受ける」と表現されたのです。


そこで私は警告します。人から与えられるみ言ばかりを重要視していると、生心が麻痺してしまい、成長が止まります。私たちは人の管理を受けるのではなく、昼の神様の管理を受けるのです。昼の神様による管理は、聖霊の働きによって可能になります。聖霊の働きは、夜の神様と授受作用をするためには不可欠のものです。


「生素」と統一原理で表現された神様のみ言と愛とは、具体的に何を指しているのでしょうか?まず第一歩の手掛かりとして、み言とは神様からの教育です。人類始祖においては、その教育は天使によって為されました。天使による教育は、被造世界に神様の愛を見出すものとならなければなりませんでした。神様の愛は、聖霊の働きにより、人類始祖を包み込む環境として現れています。聖霊の働きを神様の愛として正しく見出すほどに、その聖霊の介在によって、夜の神様との相対基準が結ばれ授受作用が深まるようになります。それが深まるほどに、心霊は成長するようになるのです。


ということで、「聖霊」「生素」との関係性を説明して行かなければならないという事になっていきます。



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