愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

ここから始まる記事を読まずしては、あなたの霊人体の真の成長を促進することができません!

先回記事末部より


「神様も息をします。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙の拍子に合わせるので、真の愛を中心に宇宙が永遠に続くのです。ですから皆さんがここまで行ってこそ、神様の呼吸圏内に入って永生するのです。」(真の愛・第一章 真の愛というものは)


愛を呼吸するという事は、「生素」を吸収しているという事です。


神様から被造世界の創造の為に発動された愛は、人類始祖が誕生するまでの期間は、天使長をリーダーとする天使たちの心に結実します。天使たちの心と言っても、神様から独立したものでは無く、愛の従者であり僕であるので、神様の前エネルギーに相対基準が造成された愛の次元で神様に帰ってきます。それまで「無の暗闇の状態」にあった神様にとっては、天使たちの感動と賛美はとてつもない励みとなっていたのです。


そこに、人類始祖が誕生してから、神様には何が起こるでしょうか。神様が被造世界に注いだ愛を、呼吸し始めるのです。真のお父様の生心に臨在され、真のお父様の呼吸に合わせて、夜の神様自身も呼吸されるのです。神様自身が愛から生まれたと悟った瞬間から、神様の成長は始まりましたが、それは構想上での成長です。実際に構想理想として立てた「四大心情圏」において成長が始まるのは、アダムが誕生した時からです。その夜の神様と真の父母様が、四大心情圏において成長し完成して行くシステムが、どのようになっているのかを理解して行こうとしているのです。


  *****


「神様も息をします。真の愛の呼吸をされるのです。神様も宇宙の拍子に合わせるので、真の愛を中心に宇宙が永遠に続くのです。ですから皆さんがここまで行ってこそ、神様の呼吸圏内に入って永生するのです。」(真の愛・第一章 真の愛というものは)


このみ言が記されている「三 愛が介在する時、調和が成される」の項目に、次のみ言があります。


私が宇宙と授け受ける関係に置かれるには、愛をもってこそ可能です。愛でなくては永遠に与え受けることができません。愛が温柔で謙遜なものだと言ったのも、抵抗なくそれをもっと多く、完全に運動させるためです。温柔で謙遜で犠牲になれば、いつでも通じるようになっています。どこでも抵抗なく行くようになります。これは犠牲ではありません。抵抗なく作用するための一つの方法が『ため』に生き、犠牲、奉仕することです。それではなぜ奉仕しなければならないのかといえば、第二の生の呼吸気管を完成させるためです。(122-329,1982.12.1)


神様は独自に宇宙の拍子に合わせて真の愛を呼吸するのではなく、真のお父様が誕生された時から生心に臨在され、その肉的霊的感覚器官を共有して呼吸します。


夜の神様は自らが愛を込めて創造した被造世界から、何故に人類始祖アダムと共に真の愛を呼吸しなければならなかったのでしょうか。


その秘密を解く鍵は、旧約聖書の創世記にあります。私は第1章第3節の「神は光あれと言われた。すると光があった。」という聖句には、創造前の「愛の光あれ」と、創造開始時の「生命の光あれ」の二通りの意味が含まれていると考えています。


創造前の「愛の光あれ」は、夜の神様が愛する対象を求めて発したみ言であり、愛する対象を創造する構想理想が完成したことによって「愛の光があった。」と発したみ言となります。昼の神様による御業の始まりです。


そして、創造開始時に発せられた「生命の光あれ」は、太陽の創造を意味します。


そこで、「光あれ」の前に「愛」「生命」を入れて、創世記第1章を引用します。


**口語訳聖書・創世記第1章に「愛」と「生命」を挿入する**


創造前の「光あれ」
(1:3) 神は「愛の光あれ」と言われた。すると「愛を実現するための」光が現れた。
(1:4) 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
(1:5) 神は光を昼と名づけ(昼の神様)、やみを夜と名づけられた(夜の神様)。夕となり、また朝となった。第一日である。


創造開始時の「光あれ」
1:3神は「
(生命の)光あれ」と言われた。すると(生命の)光があった。
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第
日である。


1:6神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。 1:7そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。 1:8神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第日である。


1:9神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。 1:10神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。 1:11神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。 1:12地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。 1:13夕となり、また朝となった。第日である。


1:14神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、 1:15天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。 1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。 1:17神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、 1:18昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。 1:19夕となり、また朝となった。第日である。


1:20神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。 1:21神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。 1:22神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。 1:23夕となり、また朝となった。第日である。


  **引用終了**


この創世記の聖句を、書かれてある文章の如くに受け止めれば、16節に「神は二つの大きな光を造り」とあり太陽は二度創造されていることになります。しかし、その聖句の後に「大きい光に昼をつかさどらせ」とあります。このことから、太陽の光が、光として照らし出すだけの存在ではなく、被造世界の生命をつかさどる光となったということです。


そこで創世記第1章に表された被造世界創造の最初のテーマは、「生命の光あれ」と表現された、愛する対象の生命の、誕生までの創造過程の記録ということになります。


創世記第1章第6節から20節の聖句で、最も重要となる聖句が第16節だと考えています。


「1:16神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。」


この聖句は、光と水と生命の関係において、地上に生命が誕生できるようになるためのターニングポイントなのです。何かといえば、オゾン層が形成されたことを表現した聖句だということです。


国立天文台が編纂する「理科年表」のオフィシャルサイトの記事「オゾン層がなくなるとどうなるの?また再生できるの?」より抜粋引用します。


  **引用開始**


 46 億年前に形成された地球に初めて生命が誕生したのは、約 35 億年前といわれている。それは海の中であった。そしてその生命が陸上に進出したのは、それから実に 30 億年以上も経た、今から約 4 億年前のことである。熱い火の玉として誕生し、とても生命など住める環境でなかった期間も含めて 10 億年で生命が発生したのに、またいったん水から上がった生命が 4 億年でこれだけの大進化を遂げているのに、水中から上がるだけで 30 億年かかったのはいかにも遅い気がする。


 水から上がれなかった理由の 1 つは、有害紫外線のせいである。地球の生命の基本である核酸は、波長 0.25 ~ 0.27 μm の紫外線を浴びると破壊されてしまう。地球が誕生してから 40 億年の間、この有害な紫外線が地表に降り注いでいた。この紫外線を防げたのは、深さ 10 m 以上の水中だけであった。しかし水中の生物、とくに大量のラン藻類が長期間にわたって酸素を出し続けて、まず水中に、続いて大気中にと次第に酸素を蓄積していった。そしてついに成層圏にオゾン (酸素原子 3 個でできた気体)層が形成され、紫外線がオゾンに吸収されて地表まで届かなくなったので、生命にとってやっと水から出て陸へ上がる環境が整えられた。


  **引用終了**


46億年前に太陽が創造され、続けて地球と月が誕生し太陽系が形成されました。その時から夜と昼は存在しましたが、地上を「つかさどる」ことのできる光ではなかったのです。ですから生命は水中で誕生し繁殖しました。その水中で大量繁殖したラン藻類の光合成により、大気中に酸素が蓄積され、オゾン層が形成されたということです。ラン藻類が20億年もの期間をかけて酸素を放出し、形成され始めたオゾン層により、地上に植物が生育するようになり、さらに膨大な酸素が放出されるようになります。このようにして、太陽の光は、地上に生命を育むことのできる生命のための光となったのです。そこで初めて太陽の光は、聖句においては「つかさどる」と表現された光となったのです。その光を受けて照り返す月の光も同様といえます。


オゾン層が形成されるまで、生命は水中で誕生し繁殖しました。これは、創世記第1章第2節に繋がるようになります。


1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。


「水のおもて」と訳されたもとのヘブライ語では、本来は「水の底」であると言われています。この「水の底」とは「無の状態の夜の神様の心情と原力」のことであると、過去記事「神様が誕生した瞬間が見えてくる!」で説明していました。


神様の愛と心情から、すべての生命体が誕生したことを表していることが分かってくるのです。


陸上に生命を誕生させるための環境が整い、太陽は生命をつかさどる光となりました。それでは、霊人体の呼吸をつかさどる光は、どんな存在が、どのようにして造ったのかという事になってくるのです。


生命を誕生させるために必要な酸素は、ラン藻類や植物が、光合成によって地球に創り出しました。この植物の光合成とは、自分が生きるための呼吸とは別の植物の機能です。つまり、植物は自分が生育するためには、夜も昼も呼吸しています。酸素を取り入れ、二酸化炭素を排出しているのです。その呼吸とは別の機能である光合成は、太陽の光を受ける時だけになされますが、自分が生きるために排出する二酸化炭素よりもずっと多いのです。


この光合成とは、同じ次元で考えられるものでは有りませんが、夜の神様がアダムと共に呼吸することによって、夜の神様が造り出す霊人体にとっての酸素があるのです。それこそが「生素」です。そこに、「神の霊」から「聖霊」と変わっていく理由もあるのです。


次回、夜の神様自身が「生素」を創り出す奥義に迫ります。



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