さらに、家庭連合食口ブロガーのサタンに拘束されたがゆえのみ言解釈の過ちを徹底追及!
昨日の記事でtomy4509さんが書き込んでくれたコメントから、思考の根っこがサタンに拘束されて、相手の主張は誤解して理解しているばかりではなく、自分の主張の間違いにも気付かずに、公に発信している状況を解説しました。
このような形で、私の主張を伝えたほうが、読み手の方には分かりやすいと感じますし。理解者が増えて行くと思っています。tomy4509さんも頑張って下さり、反論のような記事、つまり、真のお父様が「天の父母様」と語っている事を立証しようと頑張って記事を更新しました。
今回は、その記事の間違いを解説します。tomy4509さんの記事全文を引用します。
**引用開始**
2020年3月9日記事「世界がお母様をお迎えして、初めてお父様が解放される」
昨日の記事「サンクチュアリ教会の方々、「天の父母様」は?」では、『『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)』からのみ言を抜粋したものを挙げました。これをどなたが翻訳して『ファミリー』2004.6月号に掲載されたかは分かりません。
今日もPCの周りに散在している『ファミリー』の整理を兼ねて数冊を(パラパラ)読みしました。その中から『ファミリー』2005.1月号の一部ですが。
それでは、神様に対して分かりますか? 神様はどのようなかたですか? 因縁の主体として人間を考えれば、神様はどのようなかたでしょうか?(「お父様です。」)神様が何ですか?(「お父様です。」)
神様がお父様であり、また神様は、その次には何ですか?(「父母様です。」)神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。お父様の次は何ですか?(「お母様です。」)女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか? 男性側の話をしているのに、お母様であると言えば、いかれた人ですね。
神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。お兄様です。縱的なお兄様なのです。分かりますか?「お父様」という言葉は、横的な面でお父様なのであって、縱的に見れば、兄弟関係です。
……
ここでも、文鮮明総裁は「神様は父母様でしょう。」。また、「女性側がお母様でしょう、男性側がどうしてお母様ですか?」と語られていました。一見すれば「お母様」という呼称を否定しているかのようですが、文章の前後からは、神様の男性的側面から「神様はお父様であり、お兄様でしょう。」という話をされておられたのであり、当然、女性的側面からは「神様はお母様であり、お姉様でしょう。」も暗示されておられたということです。
2000年に入り、文総裁は「母子協助時代」から「父子協助時代」になったみ言を挙げては、顕進氏ほかは真のお母様を否定するキャンペーンを重ねていたようですが、『ファミリー』2005.1月号み言からは真のお父様は、祈祷とみ言の中で、「真の子女の日」四十四周年の「44」は、「母」の字をを表すことを語られ、「アジアにおいて、カイン・アベルを一つにして母を迎え、お母様の位置を定めることが、天が願う最後のみ旨である。」と強調され、「世界がお母様をお迎えして、初めてお父様が解放される」と。
手元に『ファミリー』2005.1月号がある方は一読をお勧めします。
**引用終了**
『ファミリー』2005.1月号に次のみ言を発見したtomy4509さんは、どれほど喜んだことでしょうか。
「神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。」
まさしく、「神様は父母様です」と語られて言えるようにも読み取れます。でも、このみ言の引用された全文を読んで見てください。
真のお父様は「神様はお父様です。」の次に引き出そうとしている神様の位置づけは、「兄」なのです。
「神様はお父様であり、その次には何ですか? 神様はお兄様でしょう。」
まさに、この事を伝えるために語っているみ言であり、問われた聞き手の食口が答えた「父母様です。」も「お母様です。」も認めていないのです。
食口が「父母様です。」と答えた後も、「次は何ですか」と問い、「お母様です。」と答えた後には、「お母様と言えばいかれた人です。」とまで否定しているのです。
そして語られた真のお父様の結論は、「神様はお父様であり、その次にはお兄様でしょう。」というものになります。
「神様はお父様なのですが、お父様は父母様でしょう。」のみ言は、父と表現されているのは神様本体の夜の神様であり、母と表現されているのは被造世界の構想理想が組み込まれた昼の神様の事です。ですから、女性格対象の霊的な働きです。そこで、実体のない存在を「お母様」と呼ぶことは出来ないし、神様本体を父母様と呼ぶことも出来ません。
tomy4509さんは「女性的側面から見れば」と書いていますが、神様の女性としての側面は昼の神様です。実体が無いですから、「神様はお母様であり、お姉様でしょう。」という事は成立しません。
そこで、「お父様は父母様でしょう」と答えた後も、それを認めずに「次は何ですか」と問いかけているのです。
どちらにしろ、真のお父様が結論としているのは「神様はお父様であり、その次にはお兄様でしょう。」であり、神様は男性格主体の「天のお父様」なのです。
考えてもみて下さい。天宙天地人真の父母様とは、神様と神様の妻が一体となった御姿の称号です。神様は真のお父様の生心に臨在していることによって、初めて父母様と呼ばれる位置に立つのです。神様の妻を迎えて、初めて二人を父母様と呼ぶのです。神様お一人を呼ぶ時は、天のお父様です。
ですから、韓鶴子氏が呼ばせている「天の父母様」の母の位置にあるのは自分自身で、神様の事では無いのです。自分を主体として主張する母の相対に立つ父と呼ばせている存在者は、神様であるはずが無いのです。
次の記事では、tomy4509さんが、ここで引用した記事の前の記事で取り上げている、『ファミリー』2004.6月号の「真のお父様のみ言」を解説します。tomy4509さんの理解とは、全く反対の真意が浮かび上がってきます。
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