愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

神様の精子、そして愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

昨日、ブログ名を「創造主と文鮮明師によるロゴスの核心」としてスタートしましたが、「愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと」と変えることにしました。


昨日の記事の要点だけを記載します。


新共同訳1987(2018年12月に改訂版)
1:1 初めに、神は天地を創造された。
1:2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。


新改訳1970
1:1 初めに、神が天と地を創造した。
1:2 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。


口語訳1955
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。


とあるプロテスタントの方の私訳(聖書に誤訳があると主張)
1:1 神が天地万物を創られた、その始め、
1:2 大地はまだ、影も形もなかった。神の息吹は風のように海原を包んでいたが、深い海の底は暗やみに覆われていた。


神様からの啓示によって書かれた聖句ですが、創世記第1章第1節第2節を訳すると、このような違いが生じます。これを真のお父様が訳するとするならば、どのように訳されるでしょうか。お父様が訳するということは、「聖句のもとになっている神様の啓示そのものを明らかにする」ということになるはずです。


特に訳者たちが水や海と表現している「ハマーイム」という言葉です。ヘブライ語の「ハマーイム」には、次の意味があるということです。


水、 海、 川、 尿、 精液、 体液、 洪水


第2節は、神様が被造世界の創造を始める前の状況を表現した聖句のはずです。そこに大地が無いのはもちろんのこと、海や水もある訳がありません。言葉で選ぶとしたならば「精液」となるはずです。私たちが知っている精液ではありません。「神様の精子」の基となる状態の表現です。


天聖経に、次のお父様のみ言があります。


**天聖経 真の神様 第一章 神様の本体から引用**


五 法度の中での全知全能である 2.愛のみが絶対基準である
 
神様自身を存在させる起源とは何ですか。何から生まれたのでしょうか。神様が存在するための起源とは何でしょうか。全知全能ですか。絶対的権限ですか。絶対的権限があれば何をするのですか。一人でいるのに、一人でいる両班(ヤンバン)が絶対的権限があって何をするのですか。誰もいないのに。一人で絶対者になっていれば知識があって何をするのですか。神様の本質が何かという問題が重要な問題です。それが愛です。「ため」になれという愛ではなく、「ため」になろうとする愛です。


神様を誕生させたもの・・・、それは「愛」です。


創世記第1章第2節は神様の起源を表現した聖句であり、この聖句には神様の心情が凝縮されています。ここに凝縮された神様の心情の動きは、お父様が語られた「夜の神様、昼の神様」のみ言によって、初めて理解されるものとなったのです。


神様自身を存在させる起源は「愛」です。その根本に心情があります。次回、真のお父様のみ言の本質に入ります。



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