愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

自分が天一国の民と自覚する方々は、この内容を知ってこそ本然の発想が出来るようになります!

先回記事で書いていたように、この記事は復習のために、4月6日から10日まで、三回に分けて公開した記事をまとめて掲載します。


私たちが真のお父様が語られる「真の愛」の原点と本質を知るために大事なことであり、四大心情圏について理解する為に必要な事と思います。


  *****


1.そのままでは相対基準が結べない男性女性の愛を繋ぐために神様が為された事!


永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。それが、神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた内的愛(前段階エネルギー)が、神様の根本である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、愛は他のどんな作用にも増して心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる愛の偉大さに、神様が目覚め、「愛により生まれた」と実感したのです。


そして神様は、この偉大な愛に対して絶対服従したいという衝動にかられました。前回の復習の記事で掲載したように、愛し合う対象の創造を願うようになるのです。


「それまで自体内で主体対象が授受作用し統一体となっていた神様は、当然、その内的愛を包み込み返したい衝動が湧き上がります。ところが、内的愛には存在が無いのです。自分自身を存在させているエネルギーであって、包み返す術がなく、当然、その包み込み愛し合える対象的存在でありながら、自らの愛においては主体となる存在を創造せざるを得なくなるのです。」


神様はそこで、絶対服従したい愛の対象としての理想相対を構築することになります。主体に対して包容してくるに必要となる知情意から、陽性陰性とともに抜き出し、それが神様の中の女性分野となるのです。ですから、統一思想では男性と女性の陽性陰性の違いは量の違いではなく質の違いだというのです。


「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。」


アダムと同じ形の主体対象関係で造り出した女性は、果たして神様を中心としたとしても、男性と相対基準が結べるでしょうか。陽性陰性の質の違いは、知情意による思考回路の違いであり、心情の違いとなってきます。ですから、知情意の思考機能において、神様を中心として一体化しようとしても、それは無理な話です。相対基準を作り出せないのです。これを、家庭連合では二性性相の中和的主体の神様から分立したので、自然の理で合成一体化するというでしょう。そのように生やさしいものでは有りません。


そこで、数回前の記事からテーマとしていた「相対的条件」が必要になってくるのです。


「ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?」
「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。」


初めから永生する人間として、天使のような形態の霊的存在として創造したならば、男性霊体と女性霊体は、知情意と心情の質の違いにより相対基準が結べず、授受作用によって一体化することなど出来ないのです。そこで真のお父様は次のように明らかにしています。


『第四十五回「真の父母の日」敬礼式の御言』
(2004年4月19日、米国・ニューヨーク ニューヨーカーホテル)からの抜粋です。


  **引用開始**


真の愛を中心にして成長された神様


 それでは、神様ご自身も、生まれるために心と体が一つになったのと同じように、その心と体が真の愛を中心として一つになっているので、真の愛を中心として心と体のようなものが、小さな所から大きくなってきたということです。


 神様も大きくなっていったのです。神様も大きくなり、アダムとエバが造られる時までにはすっかり大きくなり、もう一回り回って、すべて包括できる立場に入ってきたのです。無形の神様は、実体対象圏と関係を結ばなければならないのです。


 無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。「創造原理」を中心として、神様はどのような存在としていらっしゃるのでしょうか? 二性性相の中和的存在です。格位では、男性格を備えた存在であるのです。これは偉大な言葉です。神様が二性性相の中和的存在として、心と体が一つになり、神様を中心として胎内にいる双子と同じです。


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。


  **引用終了**


夜の神様は如何にして、全く質の違う知情意による思考回路と、心情の源泉を持つようになる男性と女性の間に、神様を中心とした相対基準が結べる関係性を構築したのでしょうか。


その為の相対的条件こそ、子供を産むことなのです。互いの性質を受け継いで生まれてくる子供を愛する事から、男性は子供を通しても妻を愛し、女性は子供を通して夫を愛します。その親子関係において繋がる血統の永遠の繫がりこそが、まったく性格気質の違う男性と女性を結び合う相対的条件を作り出すのです。


そこで、真のお父様は次のように語られています。


「無形の世界の中心は縦的なもので、一点しかないので繁殖できません。霊界に行けば、繁殖できません。ですから、実体圏を連結させるべき責任があるのです。」


つまり、最初から霊的存在の男性女性として創造したならば、相対関係を結ぶのは困難なので、3次元の実体圏を創造するしかなかったのです。しかし、その3次元の世界も、神様が愛に対して抱いた「愛に包まれたい」という感動から発想されたものです。


これらの事が理解できると、次のみ言が実感を持って心に染み入るのではないでしょうか。


  **『ファミリー』2005.1月号のP.22のみ言から抜粋引用**


神様は、お父様であると同時に、お兄様です。どれほど近いですか?その次に、神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。


なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。


ですから、息子を中心として見るとき、神様はお父様であると同時にお兄様にもなり、わたしの女性世界の相対圏を助けてくれる夫となる相対的条件を持っているのです。その相対的条件が、わたしと関係を結ぶのは難しいので、アダムのあばら骨からエバを抜き出したのです。分かりますか?


二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。


  **引用終了**


神様は自らそのものを男性格主体として立て、内的愛に対して絶対服従し、愛に包まれたいと願った絶対対象に立とうとする心情世界を女性分野として、その陽性陰性による性質を抜き出し女性格対象として創造しようとしました。それが被造世界であり、また実質的な愛の対象となる女性でした。


「神様はどんなかたですか?愛の主体と対象関係です。相対的関係です。夫と妻の心です。」


夫の心とは神様そのものの心であり、妻とは「主体に対して絶対服従したい」とねがい、「愛に対して対象になりたい」と願った神様の心です。その相対的関係性から、内的愛を持つ夜の神様から、真の愛を発動させた神様へと生まれ変わったのです。それ以前は、「無の暗闇の状態」の夜の神様でしたから、「無」から永遠の生命を持つ神様が生まれたということです。


ですから、愛に包まれたその愛の胎内に、夜の神様は神様として生まれたのです。その胎は何故に創り上げられたかと言えば、神様の心情と神様を存在させている内的愛が、神様の意識に登った上で、完全一体化したからこそのことです。その誕生によって、神様の心情世界に、男性分野と女性分野の違いが現れるようになったので、それを真のお父様は次のように表現されました。


「なぜですか?どのようにしてそうなるのですか?心にも女性的な心があるので、神様の男性的な心と女性的な心を通して関係を結ぶようになり、一体的関係となったその位置に立つようになるとき、天のお父様と天の息子、娘が生じるのではないかということです。分かりますか。」


ただ、男性分野と女性分野に分けて創造したのでは、性格性質の違う男女は一つになれません。そこに男女が一体となり生命が生まれるという概念が生じるのです。すべては、神様が通り体験したものなのです。


さらに、「愛に包容される」世界を造り上げようとした発想は、万物全ての創造の基本になるのです。


  *****


 真の愛を中心として、骨と肉が、骨と皮になり、骨があれば必ず皮ができます。すべてを見てみれば、骨には膜があり、そこに軟骨のようなものが連結され、すべてのものを連結できるのです。


 ですから、骨のような神様の無形の実体が心的基準であり、それと皮のようなものを包指し、真の愛を中心として初めから一つになるのです。さらに、腹中の胎児に例えれば、胎児は父親と母親の精子と卵子が一つになって、父親の精子が骨になり、母親の卵子が皮になって、母親の子宮に入っていって大きくなるのです。


 それと同じように、神様も、無形の存在を中心として、神様の見えない宇宙の中で、腹中の胎児のように成長してきたのです。何を中心として成長してきたのでしょうか? それは真の愛です。


 ですから、骨と肉がこのときは縦横を中心としているので、心と体のようなものが、無形ですが、骨と肉のようなものが、縦的な垂直と横的な平衡を中心として、愛を中心として大きくなっていくのです。


  *****


「骨」は男性格主体の神様本体の心情を意味し、「皮」「肉」「膜」は神様を包み込んできた「愛」を意味するものとなります。


すると、このみ言に続いて語られた次の内容から、アダムのあばら骨の意味するところが理解できるようになるのです。


  *****


 ここからこの実体を中心として抜き出したものが骨と体なのですが、そこに器官として入れておいたのが人間の五臓六脈です。あばら骨の中にあるすべてのものは、のどから肛門まで切って、すぱっと抜き出せば、五臓がさっと出てくるのです。


 鳥などを捕まえてみれば、骨と肉がすべて一つになっていますが、その中で五臓は、上と下がつながっています。この体の中で五臓が動くことができるのと同じように、無形の神様が、そのような立場で心と体が、骨と肉が大きくなっているのです。


 それで、これを実体圏に移しておくためのアダムとエバの創造であったということです。分かりますか?


  *****


あばら骨とは「愛によって包容する」そのものです。対象として立つけれども、主体となるものを絶対的に守ろうとする心情世界であり、これこそ愛に対する絶対服従の対象として立つ女性分野なのです。


そして、真のお父様が語られた次のみ言が実感として理解できるのです。


「二性性相の形象的実体女性分野を中心として抜き出し、アダムと同じ形の主体対象関係なのです。エバには、性相的プラス内容があるので、自然に連結させる関係が結ばれるようになっています。因縁において関係が結ばれるように、男性と女性になっているのです。」


「因縁」とは「神様が愛により生まれた」ことから、「天の息子娘として生まれた」という関係性です。これが生命の誕生による親子関係によって、永遠に神様の血統として繋がることが「相対的条件」となるのです。


2.人間に対する天使の役割


神様は愛により生まれたと実感することにより、愛し合う対象として人間を創造しました。真のお父様は、次のようにも語っています。永遠普遍の神様と同様の、永遠普遍の愛の対象を創造する事も可能でしたが、そのような創造は手掛けなかったと語られているのです。


「天聖経の『真の神様』第1章 神様の本体4)神様は父であられる」から抜粋引用します。
  
  **引用開始**


神様が愛することができる相対は、私たち人間しかいません。被造物の中で、神様自身が、また別の神様を造ることはできないのです。どうしてですか。全知全能なる神様なので、神様と同じ、もう一つの神様を造るだろうと、それも可能だと思いますが、神様がそのように造ればどうなりますか。同じ神様がご飯を食べるとき、一緒にご飯を食べ、手入れをするときは一緒に手入れをして、立つときは一緒に立って、ついて回りながらです。


神様が座れば一緒に座り、このように億千万年一緒に行動するならば生きていけますか。考えてみなさい。どんなに気が遠くなるでしょうか。1日もたたずに、目が回ってひっくり返ってしまいます。また、話はどうしますか。話をすれば何日話すと思いますか。三日間ですか。「あれ、あの、同じではないですか!死にそうだ」というでしょう。 


  **引用終了**


永遠普遍の存在である夜の神様を、愛によって包み込んでくれる対象を、夜の神様と同様の永遠普遍の存在として創造したならばどうなるかというのです。神様が、自らの本性相から、絶対服従したくなるような女性分野を取り出して、主体対象関係とした永遠普遍無限存在の個性体として創造するということです。つまり、夜の神様から独立して、女性として思考し心情が生じる、もう一人の昼の神様として創造したならば、互いの思考や心情が入り乱れ交錯して目が回ってひっくり返るというのです。


ですから、神様の中に男性の性稟と女性の性稟とが、等しく存在する「天の父母様」など、有り得ないという話です。神様の男性格主体としての性稟に内在している、女性分野としての性稟なのです。


もし、愛する対象を、自らと同じ永遠普遍無限存在の昼の神様として創造したならば、自らの意志と心情で活動を始める昼の神様に、夜の神様が体験した「愛による誕生」の境地を、同じように同一次元で体験させてあげることが出来たでしょう。そうすれば昼の神様も、愛する主体に絶対服従したいという無限の衝動が溢れだし、真の愛の心情の動機を備える事が出来たはずです。しかし、それでは神様の自体内で、性質の違う知情意が瞬時に、そして永遠に入り乱れて交錯し、目が回ってひっくり返ってしまうというのです。


でも、もう一つ、重大な事を理解していただくために、夜の神様が昼の神様を、永遠普遍無限大の存在様相で創造した場合、夜の神様と同次元の、「愛により誕生した」という体験が出来ると書きました。そこでまず、永遠普遍無限大の昼の神様ではなく、天使のような一人一人の霊的個性体として創造したならばどうなるのかということです。天使は永遠の生命を持つ存在ですが、普遍の存在ではありませんし、無限でもありません。その個性体として限定された霊的存在が、自らの生命活動を可能にしている「神様からのエネルギー」に包まれたとしても、神様が感じた真の愛の心情の動機は得られないのです。永遠普遍の神様が体験したと同次元の「愛により誕生した」体験を、限定された霊的個性体では出来ないのです。


そして、たとえ永遠普遍無限存在の昼の神様を創造したとしても、「彼女」には体験できない事があるのです。それは、夜の神様が「愛により生まれる」以前には、自分自身が「無の暗闇の状態」であったということです。夜の神様に創造された「昼の神様」は、すでに夜の神様が存在しているので、その体験は絶対的に不可能なのです。


「真の愛の心情の動機」を備える、神様の対象としての形象的個性真理体を創造するには、「無の暗闇の状態」からの誕生と、永遠普遍無限大の愛に包容される体験が、可能になる環境圏を創り出さなければならないのです。男性天使と女性天使を創造したとしても、そこに「真の愛」は顕現できないのです。


そこで夜の神様は、神様の対象となる個性真理体が、360度から愛に包み込まれる体験ができる3次元の世界を発想したのです。夜の神様の真の愛の深層にあるのは、永遠に等しい歳月を「無の暗闇の状態」で過ごして来た創造以前の体験です。それがあるからこそ、無限に溢れ出す愛したい衝動力が発揮されるのです。そこで、神様は人類始祖が誕生できる環境圏を創り出すために、136億年という歳月を費やしました。そして、創造が始まる宇宙のビッグバーン以前には、茫漠とした無の暗闇が広がるばかりです。


そこに人類始祖が誕生し、その生命は神様の血統として、真の愛の伝統を永遠に存続させるようになるのです。その永遠の真の愛の伝統に生まれてくる息子娘たちは、母の胎内に孕まれて生まれてくる体験をすることから、真の愛そのものとなる四大心情圏を、実体験できる成長過程を通過できるように造られたのです。


夜の神様は、自らが実感した「愛により生まれた」体験を、そのまま同次元で体験できる男女の生殖器を構築したのです。しかし、その体験は人間の生命が胎内に孕まれるという体験だけでは、神様が誕生の体験で得た心情の実感を相続する事は出来ないのです。


夜の神様が「愛により生まれた」と実感できたのは、それまで神様の本性相で機能していた知情意に、それまでは意識されなかった内的愛が感応し浮かび上がって来たからです。


先回記事の説明を再度掲載します。


「永遠普遍の夜の神様を包み込んでくるものがあるなどと、全知全能の神様でさえ考えが及ばぬことでした。それが、神様自身と完全一体となっているがゆえに、その存在様相を完全に消し去っていた内的愛(前段階エネルギー)が、神様の根本である心情を通して神様の知情意を刺激した瞬間、愛は他のどんな作用にも増して心情の中心点から湧き上がるとともに、神様自身を包み込んでくるのです。永遠普遍で無限の神様をも包み込んでくる愛の偉大さに、神様が目覚め、愛により生まれたと実感したのです。」


夜の神様が真の愛に覚醒したのは、それまで自体内で一体となり機能していた知情意に、内的愛が感応し刺激を受かたからです。つまり、神様の骨である心情を受け継ぐアダムと、あばら骨である対象としての心情を受け継ぐエバは、内的愛が満ち溢れる「無の暗闇の状態」から生まれた生命体として、無知な状態で生まれてきます。夜の神様が自らの本性相の知情意の機能により、心情から真の愛が湧きいずるようになったように、この無知な心情個性体を教育し、刺激する存在が必要なのです。つまり、知の天使・情の天使・意の天使を創造する事は、夜の神様が愛に目覚めた環境圏を、そのまま3次元世界に展開することになるのです。


段々と心の眼が開かれてくることを感じ取れる方は、神様の前に幸いです。この人類始祖誕生において創り上げた神様の環境圏は、神様が「愛により生まれた」と実感できた状況を、そのまま3次元世界に再現したものであったのです。それが理解できると、人間と天使が四大心情圏を成就して行くにあたっての関係性をも、理解できていくようになるのです。


3.天使長ルーシェルが神様とアダムの弟になる理由


神様は「愛により生まれた」と実感する体験を通して、「愛に絶対服従してみたい」という心情が爆発します。


  **天聖経より引用開始**


宇宙の根本 第一章 宇宙の根本秩序一、神様の二性性相の大展開 1.神様は二性性相の中和体
 何が統一的起源をもたらすのでしょうか。一人でいらっしゃる神様を、統一的位置で何が喜ばせてさしあげるのでしょうか。「原理」でいえば、神様は二性性相の中和的存在であり、格位においては男性格です。その男性格位というものが、どのようにして男性格位になるのかを知らなければなりません。男性格位ならば主体でありプラスですが、相対なくしてはプラスはありません。その概念の中で、なぜプラス格位にいらっしゃるのですか。愛ゆえにいらっしゃるのです。絶対的神様も絶対的に服従してみたいというのです。愛には絶対的に従順になりたい、絶対的に一つになりたいというそのような基台がなくなる時には、統一も融合も和合というものもありません。それは、根源がないために分散してしまいます。


 神様から造られたすべてのものはペア・システムです。鉱物世界もペア・システムであり、級は低いのですが陽イオンと陰イオンも愛を表示しながら絡み合っているのです。これは、レバレンド・ムーンがこの世に現れて、歴史始まって以来初めて発表するのです。神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。


  **引用終了**


「無の暗闇の状態」でありながら、母の愛で包み込まれた胎中で、心情の源泉を賦与されながら、まったく無知な神様の息子娘は誕生します。無知で純真な心情の源泉を備える男女の生命体は、神様の存在を知りません。この人類始祖を誕生させた肉体の親である男女も、神様の存在を知りませんから、神様の息子娘として教育する事は出来ません。


そこで、神様がまず創造したのは、人類始祖の教育を担う天使界です。その天使たちに、神様が「愛により生まれた」と実感できた体験を、そのままに経験させることは出来ないのです。ですから、天使たちに備えさせてあげられる心情の基準は、どこまでの基準であるのかが問題になるのです。


天使を創造した時点で、夜の神様が備えていた愛の基準は、愛に対して絶対服従したいという次元であり、その愛の対象はまだ現出されていません。天使にも心情の源泉を賦与できますが、神様に対して絶対服従する心情を賦与するとともに、それ以上に愛に対して絶対服従したいという心情がそこに伴います。


この時点で、天使は親になる体験が出来ませんから、知情意の機能において神様について理解できますが、親の心情は実感となりません。子女の心情も実感できませんし、天使たちが多くいたとしても、そこに兄弟という心情は現れないのです。ですから、神様に対して絶対服従する天使たちは、僕という基準なのです。(堕落する前の段階では「僕」という概念は無いものですが)しかし、人類始祖が誕生し、その成長と共に天使たちも教育協助しながら、四大心情圏における成長を体感して行くのです。アダムとエバの成長と共に、神様も成長し、アダムとエバが初夜を迎える時、アダムの生心に臨在していた神様も完成するのです。それに続いて、天使たちも四大心情圏を実感できるようになって行きます。


天使長ルーシェルは、アダムとエバを通して四大心情圏を実感できるようになってこそ、初めて神様とアダムに対して、兄弟という心情が生じるのです。神様とアダムに続いて、四大心情圏を体感する立場になるので、神様とアダムが兄となり、ルーシェルがその弟となるのです。


神様は兄、ルーシェルは弟というみ言は、多数公表されているのですが、tomy4509さんがブログで提示してくれた、「2012年1月18日海洋天正宮訓読会」の映像のみ言から抜粋引用します。


  **引用開始**


天地の原理と全く同じなのです。それを知ったために先生が一人でなくなってしまう世界において、その原理原則を知ったために、どこへ、どのようにならなければならないという・・・


弟が兄を、神様の弟とアダムの弟です。それがルーシェルです。ルーシェル。「ル」というのは人類の「ル(類)」の字です。「シ」類の種(韓国語の発音が「シ」)人類の種、多くの実を類の種(ルシ)ルーシェルの実、植えられたものが伝統の血統を、伝統と血統を持って似るという原則です。


似なければなりません。その母親の息子娘になるためには似なければならないのです。あそこもすべて全部似ていないのです。似ませんでした。伝統を知り、血統を知りましたが、似ていないのです。父親に似なければならないのに、母親に似ていたらどうするのですか?兄に似ていたらどうするのですか?姻戚の八寸(八等親)にもならないのです。父親と似なければなりません。簡単なことです。


  **引用終了**


人類始祖が誕生し完成する前までは、天使たちは神様と一問一答出来ましたが、神様の心情を理解する事は出来ません。永遠普遍の神様がどこに存在しているのか実感は持てませんし、アダムの生心に臨在していると言っても、そこに神様がおられるとは天使たちには実感不能です。なぜなら、アダムの生心への神様の臨在とは、実際に生心に入っておられる状態ではなく、アダムの生心の感覚機能を共有して、アダムの肉体霊体が実感する心情を共にしているからです。


その天使たちには、神様に絶対服従したいという心情以上に、愛に対して絶対服従したいという心情が賦与されています。ですから、神様が完成し、アダムが完成し、ルーシェルが四大心情圏を実感できるようになるまでは、堕落の危険性は避けて通れない道となっていたのです。


神様が自らの本性相の知情意の機能を通して、内的愛に包み込まれている体験をしたのと同様に、知の天使・情の天使・意の天使の存在は必要不可欠のものであったのです。



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