愛と心情-真のお父様が今伝えたいこと

神様の心情を訪ねて・・・。

さらに天地を裂いて全食口に告げる!真のお父様について何も知らなかった事を受け止めて下さい!

先回記事末部より


それは、「この地上界に、そして霊界に行かれてからも、夜の神様がその肉体と霊体の感覚器官と繋がり、振動的な刺激を共有する方こそが、真のお父様であるということを明らかにしているみ言なのです。」ですから、夜の神様が体を着ることができる相手は、たった一人、真のお父様だけなのです。


この説明を基として、夜の神様とお父様の関係性を、もっと深く本質的に掘り下げて行きましょう。すると、神様の創造における真の愛の尊さが、より深く実感できるようになるのです。そして、あなた自身も、「心の中に神様が入ってくる」感覚を、復帰することができるようになるのです。


  *****


天聖経より引用します。


真の神様 第一章神様の本体1)神様は無形の主体であられる①無形でおられる神様
神様を見ることはできません。皆さん、力が見えますか。神様はエネルギーの本体であるので、霊界に行っても見ることができません。


このみ言が、あなたの頭と心に、執拗にこびり付いてはいないですか。もし、こびり付いていて離れてくれないとしたら、あなたは原理やみ言を、本質的に理解できないままでいるのです。厳しく言うならば、信仰というものが始まっていないのです。


「①無形でおられる神様」のみ言では、神様は無形であることを切々と訴えています。


既に引用したみ言に続いて、次のみ言が掲載されています。


真の神様 第一章神様の本体1)神様は無形の主体であられる①無形でおられる神様
知恵の神様、全知全能なる神様は、中央で思いどおりに振る舞うことができる無形な存在としていながら主管するのが、一番便利だと考えられたのです。神様は無形であるだけに、存在世界を思いどおりに突き抜けてきたとしても少しも支障を感じません。皆さんは体がありますが、神様が来て思いどおりに過ぎたとしても皆さんには分からないのです。神様がこくりこくりと居眠りしている皆さんの体を思いのままに踏んでいったとしても分からないのです。それでどんなに便利でしょう。ですから神様は考えた末に見えない神様としているのが一番便利だろうと思い、見えない神様になったという論理は妥当な論理です。


このみ言で最初に出てくる「中央で思いどおりに振る舞うことができる無形な存在」とは夜の神様の事であり、神様本体の事です。もっと説明すれば、「中央で思う」のは夜の神様であり、「そのとおりに振る舞う」のは昼の神様です。


そして、「皆さんは体がありますが、神様が来て思いどおりに過ぎたとしても皆さんには分からないのです。」と言う表現で語られた「皆さんの体を過ぎた神様」とは、昼の神様の事であり、神様本体から発せられる心情エネルギーの働きで現れる聖霊の事です。


再臨主として公式路程を出発したお父様は、洗礼ヨハネ的使命者に背反され、「メシヤを迎える為の基台」を造成することができませんでした。キリスト教が二千年にわたって築いてきた「霊的真の父母を迎える為の基台」を失ってしまったのです。つまり、アベルカインが一体化できずに、霊的真の母である聖霊を失いました。聖霊の働きによる証無くしては、神様本体の所在を明確にし、聖霊の究極の目的を語る「夜の神様、昼の神様」のみ言を語る事は出来なかったのです。


聖霊を失ったまま創設された統一教会は、本来のカインアベル一体の基準を勝利しなければ、聖霊を取り戻すことができなかったのです。そこでお父様は、「絶対信仰、絶対愛、絶対服従」の基点と成るべき「夜の神様、昼の神様」のみ言を語れないまま、神様を語らなければならない苦しい立場でおられたのです。


このみ言の少し後には、次のみ言が出てきます。


真の神様 第一章神様の本体1)神様は無形の主体であられる①無形でおられる神様
神様はどのように愛するのかと言う時に、答えるのが大変でしょう。神様は無形の神なのでどこでも通ることができることを知らなければなりません。若奥様の目の中に入って心臓の中にも入って……。どこにでも行かないところがないのです。すべてに通じるのです。それでは、神様はどこに住んでいるのでしょうか。神様の住んでいる家は私たちの心の真ん中です。男性の心には神様の男性的心情がとどまり、女性の心には女性的心情が入って生きるというのです。


このみ言で語られている神様も、昼の神様の事です。さらに「1)神様は無形の主体であられる」の最後に結論的に語られる次のみ言も、昼の神様によるものです。


真の神様 第一章神様の本体1)神様は無形の主体であられる①無形でおられる神様
統一教会の原理は、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だと言います。二性性相であられる神様自身の分性的実体としてアダムとエバを造り、彼らが成長して愛を中心として横的に連結されるとき、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何のことかと言えば、アダムとエバが成熟すれば神様の男性性相はアダムの心の中に、神様の女性性相はエバの心の中に入っていくということです。だからといって神様が分かれるのではありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。


このみ言では「二性性相の主体としていらっしゃる神様」は夜の神様であり、「アダムとエバの心の中に臨在する」のは昼の神様です。


アダムとエバの心の中に臨在するのは、ともに昼の神様です。アダムの個性真理体としての主体的人格を形成し、エバの個性真理体としての対象的人格を形成します。


その上で、次の「2)無形の神様は体が必要①体をもつためにアダムとエバを創造」が重要なものとなります。長文の引用になりますが、大事なところですので読んで下さい。


真の神様 第一章神様の本体2)無形の神様は体が必要
①体をもつためにアダムとエバを創造
神様はどうしてアダムとエバのような形を必要とするのでしょうか。万物は形状的な形をもっていますが、神様は無形の存在です。神様はどのような形ももっていません。大きいと言えば無限大です。小さいと言えば無限に小さい方です。そのような方がどんな標準的な形を形成し、形体を現したとしても実体をもった万物はその神様に直接主管されません。ですから実体をもった被造世界においては、実体をもった主人的人格と形を備えた存在がなければならないのです。神様は地上万物の主管だけではなく、無限な霊界も主管しなければなりません。天使長や様々な形体をもった実体、そして無形の実体までも主管するにはその中心的タイプ、すなわち形状が必要です。
それで神様はアダムを創造されたのです。

アダムを中心に霊肉両面の世界、無形実体世界と有形実体世界を主管されようとするのが神様の人間創造の目的です。したがって一つの人格的実体と関係を結ばなければならないので、アダム完成とともに神様の形状完成、すなわち形が完成するのです。神様はアダムを造られる時、彼の形態、人相、人格などが無形世界の中心にいらっしゃる神様のような姿にならなければならない、という考えをもってアダムを造り出されたのです。形がなければ形の世界を主管できないのです。
           
神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。
アダムとエバの創造目的は第一に、
アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。


アダムとエバの心の中に臨在するのは、ともに昼の神様です。アダムの個性真理体としての主体的人格を形成し、エバの個性真理体としての対象的人格を形成します。ですから、真のお父様の個性真理体としての愛の人格を形成するのは昼の神様であり、真のお母様の個性真理体としての愛の人格を形成するのも昼の神様です。つまり、真のお父様も真のお母様も、昼の神様の実体として完成するようになっています。


しかし、真のお父様は生命が聖誕したその時から、霊体の生心に夜の神様が臨在されるのです。昼の神様の臨在と異なり、夜の神様は昼の神様の実体である真のお父様の、生心に通じる感覚器官を共有するのです。肉体の感覚器官と霊体の感覚器官を共有しますから、地上界でも夜の神様は真のお父様の生心に臨在し、霊界でも霊体の生心に臨在されるのです。


つまり、夜の神様は地上界で真のお父様の姿で現れており、霊界でもお父様の姿で現れているということです。


この事が理解されれば、キリスト教では明確になっていなかった三位一体論が、明確な神様の存在様相として説明できるようになるのです。


さらに、さらに、本質的核心へと深めて行きましょう。真のお父様の愛の人格と、夜の神様の愛の神格が、どのようにして一体となって被造世界を愛するのかを説明しましょう。


それが分かると、真のお父様が進めてきた蕩減復帰の真相が浮かび上がって来るのです。



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